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『充実』 #35 木村理工

自分にとって、この部での活動を一言で表すのなら、きっと

 

「充実してた」となるだろう。

 

だが、そうなるにもかかわらず、伝えたいメッセージ、書き残しておきたいことなどの文章は何も思いつかない。

 

それは、

ラスト1年間がコロナによって思い描いてた理想とはかけ離れてしまい不完全燃焼で終わったからなのか、  

 

自分の内気な性格的な部分によるものなのか、

 

はたまた、

自分にとってのサッカー部はその程度だったのか。

 

 

 

自分の大学4年間を振り返ってみても、

試合には出れたし、ピッチ外の活動もそれなりに頑張ったけども、

 

偉大な先輩方が敷いたレールの上を頑張っただけとか、

本気でぶつかり合う戦いに興奮したけど、負けてばっかりのリーグ戦だったとか

部員の意味わからない価値観や意識とか

コロナ再開後、残った同級生は2人になっていたこととか

 

まず、先に後悔のような、反省のようなものが頭の中をめぐる。

 

手を抜いたわけでも、頑張ってないわけではないけど、

何も成し遂げてはいないことに対するコンプレックスは少なからずある。

 

にもかかわらず、一言で表すなら「充実してた」となる。

 

なぜなのか。

 

その答えは、自分が、サッカー部に何を求めてたのかを改めて考え直すと納得することができた。

 

それは、

ただサッカーをすること。

 

つまり、自分のやりたいことをやること。

 

この部活は、自分たちの活動のために学生主体でサッカー以外の面でもすることはたくさんあるし、そこが自分たちの伸びしろであり可能性であるけども、誰にやらされたわけではなく、各々が好きでやりたいことをやるってところが自分にとってのサッカー部であった。

 

もちろん、そこで出会う仲間や勝利の喜び、興奮、得られる成長や学びなど、そういうもの全てが自分にとって重要であり素晴らしい財産であるけども、本気で取り組むことが前提にある中でサッカーをプレーするということが何よりも重要だった気がする。

 

つまり、

ただ続けてるだけではなんの意味がないし、そこにはある程度の基準が必要になるけども、コツコツと自分と向き合ってきた自分にとっては日々の活動をすることが、充実していた、につながっていたことになる。

 

ここまで書くことがなかったので、当たり前のことを自分で再確認文章になっていますが、こういった当たり前のことを常に念頭に行動するってことはかなり難しくて、何かを試みるときや壁にぶち当たった時はその前提を忘れてしまいがちです。

 

ここから、後輩に伝えたいことに無理やりつなげると、

部や自分のすることは、自分で選択して決めたことである、ということです。

少し飛躍してると感じるかもしれませんが、

学生主体で活動していることや、本気で取り組んでいるから生まれる悩みやネガティブな感情は、自分で選択してサッカー部に入ると決めたという前提に立ち返って紐解いていけば負担ではなく、自分のための乗り越えるべき試練であることに気づけます。なので、常にその前提を意識して何事にも取り組んでほしいです。

 

それに、

人工芝のグランドで、大学生になってまでサッカーを軸として生活するって客観的に考えてもけっこう幸せな環境だと思います。

 

 

最後に、

大学生までサッカーを何不自由なくやらせてくれた親にはとても感謝してます。ほんとにありがとう。