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『照千一隅、此即国宝』 #12 矢田悠貴

「なにしよう」

サッカー部を引退してから、1日の始まりに思うことが多くなったフレーズは間違いなくこれだと思います。

引退前と引退後で変わることは大きくあり、時間的余裕、経済的余裕などさまざまなものが考えられますが、私個人としては、心理的な余裕が一番多いように思われます。

というのも、なにかにつけて目的や目標を設定して日々を過ごすことがなくなってしまったことが、私には大きく影響したようです。

 

サッカー部を引退した10月、急にGoogleカレンダーが真っ白になりました。

とにかく予定がないもので困り果てた私はとにかく友達に連絡をしました。

ステレオタイプの大学生になってみたかったからです。大学に入り、サークル生活を夢見ていたので、なんとしても叶えたいと思っていました。

 

 結論から言うと、楽しかったです。明日のことは特に考えずに目の前の楽しいこと、楽な方に流れていくだけで、非常に心地よかったです。「ラントレがあるから、今日は早く帰って寝よう」「ストレッチする時間も必要だからこの時間までには」とか考えません。翌朝も、予定がないのでアラームに起こされることなく、目が覚めたら9:30で二度寝してお昼なんてことも余裕で許されます。最初はそれが楽しく思えました。

 

 しかしながら、たまに誘われたフットサルやソサイチに行った時、とてつもない物足りなさを覚えました。ボール取られた後にサボっている味方を見ても何も思わない、なんの声もなく、寂しくなりました。楽しむためふざけるためにボールを蹴っていると言う事実はすごく楽しいのですが、「やはり熱量が足りないな」とその日の帰り道に寂しくなりました。取られた味方のために走る選手もいませんし、すぐ切り替えて取り返す選手もいないその状況の空虚さがとても辛かったです。

 

 そこから、いくつか社会人チームに体験に行くようになりました。プレーの強度を少し上げられれば、この寂しさは解消されると思いましたが、行ったチームはそんなこともなく、各自がやりたいプレーをして、結果個の質で上回る側が勝つという構図が目立ちました。いる選手は全員出すのが流れなので、どんなにプレーが良くても時間で交代します。競争はあまりないように感じました。個サルと雰囲気が似ています。運動するには申し分ない環境でしたが、やはり物足りなさを覚えました。

 

 結局、何が言いたいかというと、「大学生になってサッカー部に入る」という選択はそこからしか得られない感動があるということです。理念にも感動の文言は入っていますが、文字通り心を動かされるような出来事に今後サッカーをプレーする中で出会うことは、大学を出てからは少ないのではないかと思っています。

 

 そして、この感動を生み出す要因についてですが、私は「チームへの帰属意識」だと思っています。「チームが良くなるように」と思って行動する選手の数が多いからこそ、相乗的に「自分も頑張らなくては」と考えて行動する選手が増えていきます。その積み重ねから、皆が滞りなく自分の責務を果たすことで部が成り立っています。

「誰かのためを思って行動すること」が大学サッカーにあって、他では感じられなかった事だと思っています。そして私はこれを求めて4年間部活にいたのだろうと思いました。部活にいる間はリーグ戦という明確な目標があり、それを基準にチームが回り、そのために自分がいるという構図がありました。そしてそれが他では感じられないものであり、大きな意味があることだと気づきました。だからこそ、いま部活にいる人、いまから部活に入る人には最後まで続けてほしい。全力を尽くしてほしいと思います。

 

 一言に全力を尽くすと言っても、試合に出てゴールを決めて勝敗に貢献するだけが全てじゃないということを忘れて欲しくないと思います。私は3年半で大きな怪我を2つして、3回の手術を受け、大体1年近くは思うようにプレーしていません。けれども私が部活を続けて来たのは先輩たちの背中を見て感じて来た「どんな形であれチームに貢献する」「与えられた役割を全うする」姿勢を貫きたかったからです。私が肩を手術したとき、キーパーがいなくなり三井くんが穴を埋めたこと、大吾くんのI will、れんたくんのI willが最後までやり切る勇気になりました。なんとかしてその事を後輩たちに伝えたかったのですが、多分伝え切れなかったのでここで文章として残しておきます。うまく言語化できていないけれど、サッカー部の良いところはここに凝縮されていると思っています。どうか守り継いでくれると嬉しく思います。

 

今後も都立大サッカー部を応援していきます。

拙い文章ではありますが、何か残せたら幸いです。