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『サッカー卒業論文』#10 崎間快

 「終わりを思い描くところから始める」 スティーブン・R・コビー著「7つの習慣」の中で、第二の習慣としてテーマとなっているこの言葉は、一度は耳にしたことがある人も多いのではないのかと思う。聞いたことがない人は「7つの習慣」を読んでみることをお薦めしたい。隠れ読書家の私が自信を持って薦める至極の一冊だ。

 

「終わりを思い描くことから始める」ということを簡単に要約すると、人生レベルにおいてもビジネスレベルおいても、大学4年間のサッカーという次元においても、「最後」を意識することによって、「何をすべきか」という行動の基準が自分の中で確立され、より有意義な「今」を過ごすことができるということだ。

 

私がこの言葉に出会ったのは大学に入学して2年ほどが経った後だったが、私はサッカー部に入部する時には、いや首都大学東京に進学すると決めた時には既に、「もうサッカーをやりたくないと思えるくらいに完全燃焼する」という「最後」を思い描いていた。

 

「終わりを思い描く」ことの意味は、今の行動と未来の計画にフォーカスしようということにあるが、大学サッカーの終わりを実際に迎えた今、過去の自分が思い描いていた終わりに対して「成功」か「失敗」の判断を下すのなら、私は間違いなく「成功した最後」を迎えられた。

 

引退してから今まで、「サッカーがしたい」とは一度も思っていないからだ。

 

とは言っても、フィクション映画の主人公ようにめでたしめでたしで終えられたわけではない。ご存じのようにサッカー人生の集大成として臨んだ最終シーズンは怪我に悩まされ、全公式戦の半分程にしか出場できず、得点も2点止まりだった(その2点が去年の都立大ベストゴール賞の1位2位だったことはまた別の話)。そんな自分がなぜ清々しい程にやり切ったと言えるのか。理由は一つだ。

 

できるときにできるだけのことをしたからだ。

 

決して後悔がないわけではない。あの時大久保さんのいうことを聞いていれば、一年生のころから食事に気を使っていれば、最初の肉離れの時に、不精せず大きい病院に通っていれば。「~していたら」、「~やっとけば」なんて掃いて捨てるほど出てくる。でも、大久保さんの言うことを聞けばまだまだ上手くなれると分かった時から聞くようにしたし、先輩に怒られても気にしなかった食事やボディメイクも重要性に気付いた時から気を遣うようになった。少しの違和感でも片道1時間かけて、安くない治療費を持って大学病院に通うようになった。当たり前のようだが当たり前でない。分かっていてもめんどくさい、後でいいやと思うことがないだろうか。

私は大学4年間で、サッカーにおいてだけは、気付き→行動がスピーディーにできた。その時その時積み重ねた「今」に後悔がないから完全燃焼した最後を迎えられたのだと思う。

 

後輩には、もう数年後、数ヶ月後に迫っている自分の大学サッカーの理想的な最後を描き、そこを意識し、後悔の残らない今を過ごしてほしい。

 

そしてもう一つ。自分の限界を知った気にならないでほしい。18~22歳なんてまだまだ上手くなれる。自分自身、夏に肉離れから復帰して唯一の武器だったドリブルが全力でできなくなった時は本当に終わったと思った。ピッチ上で自分自身の価値を発揮できるのか自信がなかった。でもリハビリ期間中にキックの練習を続けたら、蹴れる球種が増えてパスが一つの武器になった。

最後の一ヶ月でまた肉離れをして「右足ではあまりロングキックを蹴るな」と医者に言われた時は、試合に出る意味あるのかと思った。でも練習中のロングキックの時間、全部左足で蹴ったら最終節にスーパーゴールを叩き込めた。

 

努力は全て報われるわけではないけど、サッカーにおいては、やって損がない程度にはリターンがあると思う。

 

今年の幹部の4人は、去年の幹部の背中を見てるから、チームのことばかり考えてしまいそうだけど、しっかり自分にもベクトルを向けて、さらなる成長を目指してほしい。

 

 

このI willも終盤に近づいてきて本当だったらここで、「最後になりましたが、今まで自分の好きなサッカーを続けさせてくれた両親、様々なことを教えてくださったすべての年代のコーチの方々、こんな自分を支えてくれたチームメイトのみんなに感謝を伝えたいです」と締めるところなのだろうが、あまりにもありきたり過ぎて、「これ書いとけばいいんだろ」と自分には逆に軽く聞こえてしまう。だから感謝の言葉に代えて、「今後ともよろしくお願いします」と伝えさせていただく。

 

関わっていただいた方々から学んだ全てのことを、サッカーのみにとどまらず、社会人になっても活かしていく所存である。

 

そんな私は最近、麻雀と筋トレ、ゾンビドラマの視聴、スーパー銭湯のサウナと休憩室で一日を潰すといった堕落した「今」を過ごしている。社会人として思い描いている最後が迎えられるのか。その前に社会人としての思い描くスタートが切れるのか、モヤモヤした状態で自分に問うているところである。

 

 

うーん、サッカーでもしようかなぁ。。。